バッターボックスにたつイチロー、という表現がある。
イチローは、3割ちょっとの生涯打率だ。つまり、大部分は失敗する、それでもイチローは圧倒的実績がある。圧倒的実績、実力がつく前に勝負(仕事、起業)しろという言説がある。
個人的には、まったく議論にならない説得であるが、世の中では一定の支持があるとおもわれる、なぜなら、前向きな感じがするからだ。まったく議論にならないと断言できる理由は、世の中の現実との整合性が著しくとれていないからだ。実力不足の状態でバッターボックスにたつことの有効性が説明されている、しかし、その有効性はほとんどの人に取り入れられていないのだ。そのため、現実にはまったく当てはまっていない。その理由を説明しようと思う、簡単に説明すると、バッターボックスにたてるひとは、失敗の確立や、挑戦していることをまわりに適切に説明することができて、失敗からくるダメージを激減させているのだ。そのスキルをまったく説明していない。バッターボックスに立つべき論者は、バッティングに長けている、私は、コーチのように論理構造を説明することに長けている。ただ、役割の違いだ。私は、意思疎通やコミュニケーションといった業務についている。ただ、専門家として働いているだけだ。
伝えたいこと
読者に伝えたいこと 挑戦したいこと、少し自分の実力にたりない状態で挑戦するときに一番大切な前提条件は、意思疎通やコミュニケーションだ、バッターボックスに立つことではない。その構造を理解してどんどん挑戦してほしい。
過去の自分に伝えたいこと 挑戦するときには、コミュニケーション、意思疎通が大切ということを肝に銘じてほしい、また、日本社会は足を引っ張る社会のため、外国よりもコミュニケーション、意思の疎通が大切である。
本文
実力が足りない状態で、何かに挑戦(起業、ナンパ)することをバッターボックスにたつと表現するようだ。そして、同時に例に出されるのは、イチロー、メジャーリーグ3000本安打を達成したその人だ。イチローは、実力がある、実力がつく前にバッターボックスにたつことが奨励されている。
はじまりは、この記事である。
この記事の中では、以下のように主張される。
今回言いたいことはシンプルだ。この言葉に集約できる。
「イチローになってから打席に立とうとする人が多すぎる」
これ。マジでこれ。
このエントリーでも言及したけど、理系の院生が起業しない。本当に。
(略)
もちろん準備は重要だが、打席に立つチャンスがあるのに立たない理由はない。
どんなに頭が良くてどんなに情報をインプットしても、やってみなきゃわからない。(略)
技術力が足りない、創業メンバーがいない、メンターがいない、競合がいる、全部バッターボックスの外から言っててもかっこ悪いだけだ。ダサすぎる。
バッターボックスに立つチャンスがあるなら立てばいい。ストライクが来なくても死なないし、空振りしても死なない。
死なないと主張しているけれど、間違いだ。死ぬと軽々しく述べる人はあなたが死んでも気にしない人か、よく考えていない人だ。あなたの人生に責任をもってくれる人か、論理的に十分整合性のある言葉に従おう。
まず、失敗すると、人は傷をおいます。そして、失敗者の烙印をまわりのひとから、押されます。これは、レッテルやブランドという考えで説明できます。つまり、個人一人では、ダメージを直接おわないかもしれません。しかし、周りのひとからのレッテルは厳しいです。そして、日本は世界と比較して当然周りの目を気にし、そして互いに足を引っ張り合う民族です。他者からのレッテル張り、これに対処しないといけません。
これと同じ論理が別のブログでも展開されます。
上のブログでも、同様の論理が展開されます。
攻めれば攻めるほど、当然ながら断られることの方が圧倒的に多いわけです。
ぼくなんかは、目も当てられないくらい恥ずかしい玉砕をたくさんしていますww
(略)
仕事もそう。数多く苦渋を舐めている人が多いでしょう、でも断られること・玉砕することを恐れずに、攻め続けたからこそ、成功している事業が築けているわけです。その1回の成功は、すべての失敗をリセットしてくれるほど大きなものです。
(略)
ビジネスも恋愛も、1勝10敗だっていいんです。その1勝がすべての負けを洗い流してくれることを「できる男」は知っています。それを知らずに0勝0敗で過ごすのはモテない君の発想なのです。
こちらのブログの主張も同じです。ダメージ、傷は個人の観点からしか語られません。大切なことは、まわりから、(サル山のサルである周りの人から)馬鹿にされないことです。そして、他者からの評価は、ブランドのようなものです。両者に共通することは、彼ら他者からの評価にたいしてコントロールしたり、対処できているのにもかかわらず、触れていないことです。
彼らの論理が正しければ、どんどん人々は挑戦しているでしょう。そして、挑戦する人は増え続けるでしょう、なぜなら、イチローはデビューして20年以上、メジャーに行って15年です、十分な時間です。
この構造を説明するには、条件が必要です。つまり、十分な実力がないにもかかわらず、バッターボックスにたてるひとは、周りとの意思疎通やコミュニケーションに優れているということです。
具体的にいうと、挑戦する前に(起業、ナンパ)の前に、周りへ説明して理解してもらうことができている、ブランドをつくっている、以上のことができています。
もっと具体的にいうと、起業するとします。起業の成功可能性がどれくらいで、失敗したときのリカバリーをきちんと説明しておくことです。起業で失敗しても成長した、人脈がえられた、そのようなことを回りにすりこんでおくことが有効です。
バッターボックスに立つ前にやるべきことは、意思疎通とコミュニケーションです。
日本社会は、失敗にあまりに冷たい社会です、そのために、挑戦の前に意思疎通とコミュニケーションに力を使うことが大切です。これが、社会構造を説明している言論と考えています。
ついで
ちなみに、以下のブログでは、論理全体をとおしてメッセージがあまりわからなかったのだが、とりあえず、最後に以下のように書いてある。無理やりのまとめだ。社会構造を理解していない人のアドバイスを受け取るときは、金を出してくれるかどうか、が重要だ。
なぜ人がイチローになってから打席に立とうとするのか、『シン・ゴジラ』で説明するよ。:弱いなら弱いままで。: 海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ
だから、まずはバッターボックスに立とう。三振するにせよ、見事ヒットを打つにせよ、話はそれからだ。
責任を背負って行動する者だけが現実を変えることができる。それは、まさにあなた自身のことなのかもしれないのだ。