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kanjuseitosyakaitojounetsu’s diary

コミュニケーション(意思疎通)、マーケティング、広告、メディアのブログです。経営分析、投資分析、ビジネススキルの目線もあります。これらの観点から様々な事柄を分析します。

【一番読んでほしい記事】自分の無力さと多くのこどもが貧しくて困ること。その原因としての社会の無理解、その例一つは、発達障害。日本人のサイコパス気質は比率が高い。私がブログを書く理由。

常々思い、考えていることがある。

それは、自分の無力さだ。

自分は貧しくて困っているこども、そのこどもに関わる親も困っている。

その人々に何もできない自分がいる。

そして、そのような記事を見ると、体が火照る。頭と背中に汗をかく。

自分の気持ちは大切ではない、そのこどもや親という人々の気持ちがつたわるような苦しい気持ちになるのだ。

最初に言うが、私はすばらしい人間ではない。ボランティアには縁がない。

以下の記事が、最近読んだ貧しくて、困っている人の記事だ。

 

www.asahi.com

風呂は約1カ月ぶりだという。翌日から一緒に入り、姉妹の髪をとかし、数百匹のシラミをつぶした。

 「お姉ちゃん、もうこれでいじめられなくなるね」。次女がそう言うのを何度も聞いた。

この記事のこどもは、自分のせいではないせいでいじめられている。日本人の冷たさは、世界各国の比較でと出している。

日本のこどもが優しい心をもつということは、うそだ。そのうそという事実に幼い年齢で向き合うことは非常に厳しい。私は耐えられるかはわからない。

大切なことなので繰り返す。

「この記事のこどもは、自分のせいではないせいでいじめられている。日本人の冷たさは、世界各国の比較でと出している。」

出典を以下に示す。

一言で言う

一言で言うと、日本以外の国では、宗教を問わず、9割の人が、困っている人を助けるべきと考えている。(それは、私の考えでは、人間の他者の気持ちが伝わる感受性によるものだ。)

しかし、日本では、その割合が6割いかだ。これは、ダントツの差だ。助けないでいい、苦しんでも何も思わないという、冷たい、サイコパス的考えの人が、日本では、4割で、世界では、1割いかだ。日本人の冷たさは、世界の四倍だ。その割合が圧倒的だ。この冷たい日本人の特徴を伝えたい。これが私がブログを書く理由だ。(サイコパスについての記事はこちら。)

 

 

business.nikkeibp.co.jp

1つは、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多くなっている点である(出典:「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中で断トツである。第2位はアメリカで28%。アメリカは毎年多数の移民が流入する多民族、多文化の国家であり、自由と自己責任の原則を社会運営の基軸に置いている。この比率が高くなるのは自然なことだ。そのアメリカよりも、日本は10%も高いのである。

 日米以外の国におけるこの値は、どこも8%~10%くらいである。イギリスでもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、洋の東西、南北を問わない。経済水準が高かろうが低かろうが、文化や宗教や政治体制がいかようであろうが、大きな差はない。つまり“人”が社会を営む中で、自分の力だけでは生活することすらできない人を見捨てるべきではない、助けてあげなければならないと感じる人が9割くらいいるのが“人間社会の相場”なのである。

 にもかかわらず日本では、助けてあげる必要はないと判断する人の割合が約4割にも達している。日本は、“人の心”か“社会の仕組み”かのどちらかが明らかに健全/正常ではないと言わざるを得ない。この場合、政治の制度や仕組みと比べて人の心はずっと普遍的であるはずなので、問題は日本の政治の仕組みや政策にあると考えるのが妥当である。言い換えるなら、人の心をここまで荒んだものにしてしまうほどに、現行の日本の政策や制度は正しくないということになる。

心の痛みが自分の中にある。

 

一方、大人になった、かつていじめられていた貧困の子供だった人に対する行動は

私は詳しくない。そっとしておくことが大切ではないか。そのために、しずかに暮らす場所、

公共住宅の整備があればいいかもしれない。図書館のゆっくりした場所は大切ではないか。

きれいな海を整備するとか心に優しく効く気がする。

 

 具体的な短期的対応策(長期的な対応はいつか提案してみたいです。)

 短期的には、対応する、職員さんたちの負担を減らすことだ。そのためには、地方自治体で予算をとればいい。一つの例を提示する。私は、横浜市を調査した。私の調査では、横浜市では、こどもの虐待相談の電話番は、4人の職員しかいない。横浜市民は、360万人はいるのにだ。ほかの担当の職員もいるが、あまりに少ない。即効10倍にすべきだ。

横浜市へのこのような意見は届かない。なぜなら、保護を受ける、この場合利益をうける人が発達障害だと制度を知らなくて、アクセスできないし、政治活動もできない。さらに、繰り返しになるが、日本人は冷たい。そのため、彼らのためには行動しない。

 

効果はあるのか

抜群にあります。「市役所に意見を言うことに意味があるのか、地方公共団体に言ってもいみがない、国にいうのではないのか」と思う人へ説明します。

 結論からいうと、横浜市の予算は、地方自治体である、横浜市の職員が案を作ります。建前上は、市長が作ることになりますが、不可能です。予算、金の配分に関わるのは、職員、市長、市議会議員の三つの立場です。

市長の立場

 市長の時間が足りないからです。そのため、市長は、自分の力の入れるところ、つまり、得意なところや目立つところは丁寧に作業します。それは、5パーセントぐらいです。(林市長ですと、セールス職種出身なので、国際貢献アピールや新市庁舎でのアピール、マラソンイベントアピールが得意であり、これが一例です。中田市長は、財政改革、人事のプロでした。黄金町の風俗街対策が得意でした。)つまり、本音レベルでは、市の職員があまり、根拠のないまま作業をします。その根拠が市民の声です。市民の声で動く仕組みがこれです。(発達障害の方の声は市の役人に届きません。ケースワーカーさんが現場で対応するぐらいです。それでは、ケースワーカーさんにも余裕がないため、必要な声、意見の量には足りません。1パーセントぐらいでしょうか。また、虐待されているこどもの声、意見も市の役人に届きません。)

市議会議員の立場

 また、市議会議員に市の税金年間1兆円の使い道を考える権利はありません。(地方議員は、賛成、反対の票を入れるだけです。そのための質問を行うだけです。)もちろん、力のある議員は、市民の声として各党要望という形で要求し、政策の修正します。それは少しです。5パーセントも行きません。

 

市職員の立場

これまでみたように、予算、金の使い道で市長がきめるのは、5パーセント以下、市議会議員は、ゼロから5パーセント以下。残り90パーセントが市職員です。現在の横浜市における、政令指定都市制度は、このように大変ゆがんだ形になっています。(適切な政令市のサイズは、100万人ぐらいといわれています。その根拠は、市長や議員の目の届く範囲として、効果があるのは、100万人ぐらいというサイズ感です。)

では、次では、非常に簡単にでき、1分で完了する具体的な行動を示します。

 

具体的行動

横浜市には、公聴というシステムがある。

パソコン用ページ

iphone,androidスマートフォン用ページ

一般携帯ページ

具体的な、登録のテンプレート

ブログではなく、朝日新聞の記事を引用したほうがいいかもしれません。(3パターン準備しました。)

①「以下のような記事を読みました。

http://www.asahi.com/articles/ASHB97FB3HB9PTFC017.html?ref=newspicks

こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やすことはできませんか。回答をお願いします。」

 

ブログを参考にしてもらってもいいです。いか、その場合のコピーテンプレートです。

②「以下のようなブログを読みました。http://kanjuseitosyakaitojounetsu.hatenablog.com/entry/2015/10/11/005358。こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やしてください。市民として要求します。」これをコピーして登録してほしい。確実に市役所に届きます。要求するという上から目線に聞こえるかもしれませんが、市民は血税を払っているため、公務員は、公僕であることが憲法で定められているため当然に意見です。少し口調がきついという人のために、やわらかなパターンも用意しました。

「以下のようなブログを読みました。http://kanjuseitosyakaitojounetsu.hatenablog.com/entry/2015/10/11/005358。こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やすことはできませんか。回答をお願いします。」

 

この公聴システムで意見を述べることができる。ぜひこのような気持ちを少しの人でいいので伝えてほしい。

予算はたくさんある。横浜マラソンはいらない。新市庁舎はいらない。区役所の行う区民祭りはいらない。

苦しむ人を助けることが一番大切だ。日本人の心の感受性に対しての私からの意見だ。

 繰り返して言うが、私はすばらしい人間ではない。ボランティアには縁がない。一つだけ、一つだけ苦しい人はいる。その人の苦しさが心に響くだけだ。心に響く人は少しだけ行動してほしい。

 マラソンは、していいとおもう。マラソンは、三日間やろう。

新市庁舎もいけてるのを作ればいいとおもう。予算は二倍にしよう。建物は、

都庁よりいいものを作ろう。

ただし、貧しくて、困ってる人を助けてからだ。部屋で隠れて困っている人を、

ほっておいたまま、エンターテイメントが心から楽しめるのか。(その人は、

サイコパス気質があふれている。)

困っている人に、助けますというメッセージを出さないまま、楽しめるのか。

助けることが出来なくても、メッセージを出すべきだ、それが最低限、人としてやるべきだ。

楽しむためには、正確にいうと、もっと楽しむために、助ける態度が必要だ、(横浜マラソンの例)それは、我々の感受性の話だ。

 

社会の安定のために、人の痛みを感じない人もぜひ考えてほしい。

感受性のない人は、どうするのか。社会の意義を考えよう。苦しむ人を助けることは、社会の安定性に役立つ。ヒトラーの弾圧を思い出そう。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

感受性がなくて、正直苦しんでいる人はどうでもいいやと思っている人もいると思う。社会の安定という視点から助けのための立場になってもらえないだろうか。(どうでもいいやと思っているひとがけっこう多いのではないかという記事は、こちら。)

私は、人にお願いできるような立派な人間ではない。

この論理は、大きな悲しみを避けるための長期的な効果だ。

 

適切な例かは、わからないが短期的な効果もある。

感受性の大切さである。ギリシャの感受性の強かった兵隊の話だ。
人を思いやる気持ちは実力よりも強い力を発揮できる。
さらに、ラグビーの話がある。一人は皆のために、皆は一人のために、
one for all, all for one.という概念だ。

 

長期的提案

 そちらについては、阿部彩先生の意見を参考にして考えたい。理論的な背景をそなえることも大切だ。しかし、すぐできることが今回のケースでは大切だ。

www.mammo.tv

 

 

具体的な、登録のテンプレートを繰り返します。

具体的な、登録のテンプレート

ブログではなく、朝日新聞の記事を引用したほうがいいかもしれません。(3パターン準備しました。)

①「以下のような記事を読みました。

http://www.asahi.com/articles/ASHB97FB3HB9PTFC017.html?ref=newspicks

こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やすことはできませんか。回答をお願いします。」

 

ブログを参考にしてもらってもいいです。いか、その場合のコピーテンプレートです。

②「以下のようなブログを読みました。http://kanjuseitosyakaitojounetsu.hatenablog.com/entry/2015/10/11/005358。こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やしてください。市民として要求します。」これをコピーして登録してほしい。確実に市役所に届きます。要求するという上から目線に聞こえるかもしれませんが、市民は血税を払っているため、公務員は、公僕であることが憲法で定められているため当然に意見です。少し口調がきついという人のために、やわらかなパターンも用意しました。

「以下のようなブログを読みました。http://kanjuseitosyakaitojounetsu.hatenablog.com/entry/2015/10/11/005358。こどもの虐待や、いじめや困っている人に対する活動費を増やすことはできませんか。回答をお願いします。」