今回は、コミュニケーションの話をしよう。
とくに、日本人の冷たい心というコミュニケーションだ。
テーマは、脱法ドラッグを吸って隣人を切りつけたケースだ。
サイコパスという言葉は覚えておいたほうがいいだろう。
この事件を分析して、サラリーマンの日々の業務に生かせるだろうか。
結論から言うととても生かせる。
伝えたいこと
日本人の心は冷たい、さらに悪いことには、普段労働時間が長く、他者について考える時間はない。そのようなことを日本のサラリーマンは意識して行動しないといけない。さるやまともいえる会社組織の中で、群れに入り生きていく必要もあるだろう。
そして、プレゼンテーションを行うときには、人々の無理解を前提として行う必要がある。
脱法ハーブ(危険ドラッグ)を吸って、隣人を切りつけた事件の裁判がひらかれた。
この事件と日本社会の関係を分析しよう。
この分析の効果
短期的な効果 日本の人々の多くの他者への不理解をわかる
長期的な効果 日本社会の特徴をとらえて、出世に生かす
本文
とりあえず、事件の概要を紹介しよう。
端的にいうと、危険ドラッグを吸引し隣人を切りつけた事件だ。大変迷惑な事件であり、被害者の方にはとても同情する。
その裁判のときに、被告人である、男の発言が注目を集めた。
その発言とは、以下である。
「加害者なのに被害者の立場なんて分かるワケないじゃん」
これに対して、ネットの意見はどうだっただろうか。
・まあ正論っちゃ正論だわな
・言ってる事は正しいが貴様の立場で言うな
・被害者の気持ちを考えるつもりもない
・サイコパスってこういうのだろ
引用すると、以上のようになる。正論と思っている人がおおいことが日本社会の特徴である。
共感性の低さが、日本社会の特徴であり、この共感性の低さがいちじるしくなると、サイコパスやソシオパスとなる。ここで、日本社会の他者への不理解が浮かび上がる。
この日本社会の特徴を学んで出世に生かすことができる。サイコパスが社長に多い理由もここにある。
基本的な知識、日本人の冷たさ
一言で言うと、日本以外の国では、宗教を問わず、9割の人が、困っている人を助けるべきと考えている。(それは、私の考えでは、人間の他者の気持ちが伝わる感受性によるものだ。)
しかし、日本では、その割合が6割いかだ。これは、ダントツの差だ。助けないでいい、苦しんでも何も思わないという、冷たい、サイコパス的考えの人が、日本では、4割で、世界では、1割いかだ。日本人の冷たさは、世界の四倍だ。その割合が圧倒的だ。この冷たい日本人の特徴を伝えたい。そして、コミュニケーションに生かしてほしい。これが私がブログを書く理由だ。
1つは、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多くなっている点である(出典:「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中で断トツである。第2位はアメリカで28%。アメリカは毎年多数の移民が流入する多民族、多文化の国家であり、自由と自己責任の原則を社会運営の基軸に置いている。この比率が高くなるのは自然なことだ。そのアメリカよりも、日本は10%も高いのである。
日米以外の国におけるこの値は、どこも8%~10%くらいである。イギリスでもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、洋の東西、南北を問わない。経済水準が高かろうが低かろうが、文化や宗教や政治体制がいかようであろうが、大きな差はない。つまり“人”が社会を営む中で、自分の力だけでは生活することすらできない人を見捨てるべきではない、助けてあげなければならないと感じる人が9割くらいいるのが“人間社会の相場”なのである。
にもかかわらず日本では、助けてあげる必要はないと判断する人の割合が約4割にも達している。日本は、“人の心”か“社会の仕組み”かのどちらかが明らかに健全/正常ではないと言わざるを得ない。この場合、政治の制度や仕組みと比べて人の心はずっと普遍的であるはずなので、問題は日本の政治の仕組みや政策にあると考えるのが妥当である。言い換えるなら、人の心をここまで荒んだものにしてしまうほどに、現行の日本の政策や制度は正しくないということになる。
ここで、すこし話がずれるが、日本の法律が想定しているのは、犯罪者が他者への共感性があり、そのため反省の態度をあらわすことによって、刑の軽減がはかられる。他者への共感性が高いと社会への復帰が容易であるという見解だ。その法の見解は、そもそも法を受け継いだ、アメリカやヨーロッパ大陸では、共感性が高いという現実があった。日本には、その前提がないため、反省の態度だけが問題となる。日本人の多くは、他者への共感性が低いために、ある人物の共感性チェックができないため表面的な議論になる。
(共感性チェックとは、ある人物が、共感性が高く、被害者への気持ちを感じるかどうかをチェックするものと私が定義した。)
まとめ
まとめる。日本人は、他者に冷たい。こころの感受性は低い。他者が苦しんでいても心が痛まない。そのことが何かの機会、特徴的な事件の感想として現れる。
それをわすれてはいけない。
サラリーマンは、この事実をどう生かすか。
サラリーマンは事実を生かして、生きていくとよい。さるやまのさるを考えてほしい。感受性の低い人たちは、助け合うことをしない、なぜなら、助けなくても心が痛まないからだ。そのため、助け合うことは、自分に恩恵があるときのみだ、つまりさるやまのさるだ。群れを作るのはそれだけだ。自分に利益があるから群れに入る。これが日本社会の群れの話だ。会社には派閥があるだろう、入ることは生き延びることに有効な手段と分析できる。
さらに、会社の中で、まともに、何か生産性のあること、役に立つことをしようと思うだろう。プレゼンテーションを行うことがあるだろう。そのプレゼンテーションの裏には、必ず個人の利益(社長個人のような個人的利益)に響くようなプレゼンが理解されやすいので、忘れないでいてほしい。大義は、認められやすいが、人は動かない、大義には、反対する理由がないだけで、個人の利益がないとこの国の人たちは動かないのだ。大衆が動いて見える、動いて見えたのは、群れから離れたくない、孤独になりたくないという本能であるから、それだけの理由である。