今回は、マーケティング、ブランドとコミュニケーションの話をしよう。
上級国民という新たなブランドワードがうまれたことを分析して、コミュニケーションの観点からサラリーマン生活に役立てよう。
上級国民という広告ワードが生まれた。
戦時中の非国民という広告ワードを思い出される。これは、われわれ日本社会をあらわすイメージだ。分析してみよう。
伝えたいこと
わりときちんと分析したつもりだ。
上級国民という ワードはいまでも使われている。これは、ブランドだ、日常生活では、レッテルとも呼ばれるかもしれない。こういう分析をして、ビジネススキルにいかして、サラリーマン生活に生かして働いてほしい。
この分析の効果
短期的な効果 広告デザイン業界問題において、上級国民と一般国民という分類がネット上でうまれているということが理解できる。そして、今回のケースである、上級と一般をわけるデザインについて詳しくなれる。
長期的な効果 日本社会は、さるやまのさるとサル山みたいなもので、その構造がメディアをとおして浮かび上がる。構造に注意すると出世につながる。
本文
上級国民という広告ワードが生まれた。
それは、オリンピック組織委員会の会見から生まれたものだった。
エンブレムの原案とヤン・チヒョルト展のポスターの類似点等について、審査委員の永井一正氏の「デザイン界では別物と区別される。しかし一般国民は納得しない」「専門家にはわかるが、一般国民は残念だが理解しない」という発言が伝えられた。一部ネット上には、「理解しない一般国民が悪い、一般国民に責任があると言うのか?」と反発の声が。「我々が一般国民なら、デザイン界は上級国民なのか?」といったような声もあり、会見を中継した『niconico』生放送には「上から目線」「選民意識」というコメントも寄せられていた。「訴えたベルギー側は”専門家”じゃないのか?」というもっともなツッコミも。
分析
さるやまのさるというイメージを考えよう。
さるやまのさるにとって、非国民は、国民から排除されるということだ。群れから離れたさるはきつい。現在の日本では、無視や村八分というイメージだろう。
今回のケースは、上級国民と一般国民だ。さるやまのさるのなかで、上のほうと下のほうというイメージだろう。現在社会でいえば、ヒエラルキーやスクールカースト、もしくは、インドカースト社会だろう。
これが、現在日本に大きくのこっている。
昭和15年まであきらかなカースト制が日本にあった。
昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由 - 御光堂世界〜Pulinの日記
今回のデザインの話に戻ろう。今回に関しては、デザインを理解するかどうかが、建前上、上級と一般をわける。
以下の記事が深くデザインとは何かを、このケースの最も適した形で示している。
亀倉雄策は、1964年の東京オリンピックのシンボルマークを作った人です。
例えば僕のオリンピックのポスターと、ある人気作家が描いた喫茶店のマッチと二つポンと並べて、どちらが良いかって投票されるのだからね。(略)そこでマッチの方が面白いって票が入るんですよ。(略)喫茶店のマッチは、なにをやっても良い。ところがオリンピックのポスターは、その国を代表しなくてはいけないし、老若男女国籍を問わず共鳴を持たせなきゃいけない。何人かの好きな人が面白いというのとは、重さが違うと思うんですよ。
(略)デザインっていうのは、もともとアノニマス(無名)なもんだよ。僕の東京オリンピックのポスターはみんな知ってるけど、それが亀倉雄策の作品だなんて誰も知らない。そういうもんだよね、デザイナーの仕事っていうのは。
上級国民や一般国民とは、日本人がうすうす感じていることである。それにたいして無防備に会見にむかうことは日本社会の分析がたりない。もちろん対策はしたとは思う。ここは、PR代理店の出番だろう。
まとめ
上級国民というワードは、 一般国民の反対から生まれたものだ。
そのため、一般の人から、多くの人から嫌われることになっている。多くの人は庶民なのだ。
サラリーマンはどのようにこの事象を日々の暮らしに役立てるべきだろうか。
簡単にいうと、上級国民と呼ばれる、位の高い人たちが、見下されている一般国民への意識があらわれて批判されたということだ。
サラリーマンは、見下している人がいてもばれてはいけない。そのことを気をつけなくてはならない。サイコパスの上司は、ついつい本音では多くの人を見下している。
そのような人に気をつけなければならない。