鈴木寛文部科学大臣補佐官が人文学について文部科学省を擁護している。
この現状を分析する。
分析の効果
短期的には、文部科学省が擁護のために言論をおこなっていることを感じられる。
長期的には、日本が取り組むべき教育課題がわかる。
本文
擁護の内容
最も大切な点はふれない。
研究について、科学研究費補助金について言えば、科研費の配分を2010年度と14年度で比較すると、人文社会科学系の採択数は17.4%、配分額は10.7%増加しています。
文部科学省の研究者へのつなである、補助金についてアピールしてる。基礎についての予算と研究についての予算をまぜている。
大切な論点は、大学の予算ではないだろうか。一番大切な大学予算についてふれずに、ほかの点でうまくいきましたよとアピールしている。
(内部の論理は、こうだ。一番大切な大学予算の削減はしかたない。せめて主要でない部分は、財務省と折衝しよう。そしてアピールしよう。難しい主要な大学予算はあきらめよう。文部科学省の官僚にとっては、非常に話のわかる人だ。難しい主要な仕事はしたくない。官僚は、スーパーマンではない、しかし、スーパーマンのようにほめてもらいたい、そのためにはアピールしたい。たとえるならば、試験で解ける問題だけを解きましょうというようなものだ。求められるのは、研究者のような、未知の課題解決だ。)
一般論だが、一番大切な点で、本質的な点で、効果を出していないにもかかわらず、その他の部分、非主要部分の業績をアピールする。これは、アピールでしょう。文部科学省が優秀なら、国立競技場の問題はもっとエレガントに解決されてる。
我が国の文系については、ひきつづき、学部教育の中心は私立が担い、国立大学文系においては私立が担いづらい分野、たとえば、教育の高度化、修士博士課程の充実、研究力の飛躍的増進といったところにもっと特化して、国立・公立・私立が、その役割分担を明確にし、その上で、有機的連携を強化するというのが筋だと思いますし、通知はそうしたことを言っているのです。
日本の東京一極集中の問題がないでしょう。たとえば、九州に学部教育できる優秀な私立大学があるのかという話です。となると、学部で人文学を学ぶ人は、東京の私立に行かないといけなくなる。そのことが考えられていない。かれの政策は、奨学金希望者全員ということのような、政策で役立つことは役立つ。それに対する評価が高すぎる。その政策がうまくいったうえで、文部科学省の政策はうまくいくかもしれない。しかし、現実は、奨学金全員にいきわたることもない。うまくいく前提条件がそろってない。
私が非常に重要視している指標があります。それは教員と学生の比率(ST比:Student-Teacher-Ratio)です。教育も、一種の社会サービスですので、教員がどれだけ一人ひとりの学生の教育研究を熱心に支援できるかという点は、非常に重要です。
指標の見方が微妙。この人は、あまり大学の現状の数値をしらない。大学生活は、前半2年間は、一般教養、後半は、2年間ゼミとなる。つまり、前半後半で、まったく違うのだ。前半と後半で、教員と学生の比率は、著しく異なる。分析やり直しでいいのではないでしょうか。
グローバル化で、最も大切な指標は、学費でしょう。次に、年齢。
学費の指標について
グローバル化なら、アメリカ人がドイツに留学するニュースが一番ホットなニュースであり、その要因である、学費が最も注目すべき指標。
英BBCによれば、アメリカの大学の授業料は、地元の公立大に進学した場合でも年間9000ドル(約110万円)以上、私立に至っては、5万ドル(約600万円)を超える場合も珍しくない。進学資金を借金に頼ることはやむを得ず、今や全米の学生ローンの残高は、なんと1兆3000億ドル(約160兆円)に到達している。
BBCは、高額な授業料に見切りをつけ、ドイツのミュンヘン工科大学を選んだ、サウス・カロライナ州出身のハンター・ブリス君を取材している。実はドイツの大学は、外国人でも授業料が無料。学期ごとに彼が大学に支払う額は111ユーロ(約1万5000円)で、これを払えば市内での交通費は無料となる。
年齢の指標について
主旨を引用する。
日本は1.6%とランキング18カ国の中で最も低く、学校で学ぶ成人が最も少ない。最高はフィンランドの8.3%で日本のおよそ4倍。上位は北欧の国々で占められている。大学開放(University Extension)の発祥の地であるイギリスをはじめ、上位国では教育有給休暇や学費の無償化など、成人が「学び直し」できる制度が整っている。
まとめ
鈴木寛さんの傾向
文部科学省官僚目線を大切にする。短期的な実効性をもつが長期的な目線はない。日本人はありがちな高評価なせいさくをとる。
分析内容
本来すべき、しかし難易度の高い政策がある。優先度の高くないが実効性があり、文部科学省の役人にとって手柄が立てられる政策がある。大臣として文部科学省の役人にとって成果の出る政策をおしてくれる、やりやすい人。役人の自尊心を満たしてくれる。
地域政策や地方の人々の生活と言う点は、考慮に入れない。グローバル化についてもインパクトの高い政策はとりいれない。
役人分析と言えば、ちきりん
官僚は謝らない。
当時、日本政府が移民政策を進めた理由はずばり「日本には仕事も食料もないのに、人が多すぎる」ことでした。これは、高度成長の始まる1960年代中盤までずっと続いています。
すごいことですよね。ここ10年くらいこの国はずっと「少子化対策」を叫んでます。1965年までは、「人が多すぎるから海外に捨ててこい!」という政策で、「少子化対策」が1995年からだとすると、その間たったの30年なんです。
たった30年で、国の政策が文字通り180度変わるのは結構すごいと思いません??
30年なんて、22才で就職した人がまだ定年にもならない52才の時期ですよ。その間にここまで変わるなんて・・。
まず、解くべきは、最大の問題。官僚の自尊心は保たれないかもしれないが、それが官僚制度だ。役人なんて黒子。この国は、さるやまのさるだから、鈴木さんや、文部科学省の役人や、われわれ大衆の心の中では、「官僚は、さるやまのさるとして群れのてっぺんの方にいるイメージだろう。」
鈴木さんや文部科学省の役人は、本来以下のように説明することが義務だ。血税で運営しているからだ。
短期間で、実現可能な3番目、4番目以降の政策を選択しています、セカンドベストでさえないです。役人は、単年度予算主義なので、長期的な政策には弱い。
今回の分析での伝えたいことは、3番目の課題を主要な課題のようにアピールすることは、長期的に問題だということだ。
私が過去に、人文学にふれた記事はこちら。
kanjuseitosyakaitojounetsu.hatenablog.com
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